国語の授業で恥をかくところを助けてくれたあの男子
小学6年生のころ。
ナガサワ君という頭のいい同級生がいました。
わたしもこの頃頭がよさそうと時々言われていましたが、小学生が小学生に言う「頭がよさそう」はイコール「暗そう」を意味していることが多いという厳しいリアル。
わたしはこっちの方の「頭よさそう」であり、
このころからすでに「人はみな、おのおのの魅力を持っている。が少なくともわたしはクールではない」という自覚がありました。
あ、いや今回はクールかクールじゃない話ではなくてナガサワ君と国語の授業の話をします。
ちなみにナガサワ君、とカタカナで書きましたが彼は日系人転校生ではなくて日本で生まれ育った両親のもと日本で生まれ育った少年ですがナガサワのサワの字が難しい方のサワだったかどうか思い出せないだけです。
さて、小学校6年生の頭良さそうなわたしは、国語の授業を受けていました。
その日は敬語を学ぶ授業で、先生が「これ尊敬語で言える人ー」といくつかの言葉を指して言いました。
・食べる
・来る
・見る
・読む
わたしの脳はすぐにこれらを敬語に変換し、けれどすぐに手をあげるのも何となくいやらしいかと、もじもじしながら周りを見回しました。
その時、ナガサワ君が手を挙げ、淡々と答えを言いました。
ナガサワ君の答え:
・食べる→召し上がる
・来る→お出でになる
・見る→ご覧になる
・読む→お読みになる
あっ…!
わたしはそれを聞いて、わたしの答えが間違って、いやもうズレッズレだったことを知りました。
実際あっ、とは言いませんでしたが、ラッぐらいは言っていたかもしれません。
わたしの答え:
・食べる→食べなさる
・来る→来なさる
・見る→見なさる
・読む→読みなさる
すべての語尾に「さる」付けただけというすごいバカ!
ナガサワ君が先にさらっと回答してくれたおかげで、わたしが大勢の前でサルサル言う事態が避けられました。
日頃から頭良さそうと評価されていると、バカが露呈する際に割り増しで大事故になる可能性があります。
ナガサワ君その節はありがとうございました。わたしは今は特に頭良さそうと言われない大人になっています。